果樹園のこと

清木場果樹園のハウスと金柑の様子

 

 

 「清木場果樹園」のふるさとは、金柑の一大産地・南さつま市です。

清木場果樹園のふるさとである鹿児島県南さつま市は、薩摩半島南西部にあり、西は東シナ海に面し、東は標高400~500メートル級の山々が連なる自然に恵まれた地です。清木場果樹園のある津貫(つぬき)地区はその南中央部にあり、四方を山に囲まれ、山腹には柑橘類の果樹園が階段状に開かれています。あちこちに清水が湧き小川が流れる美しい地で、適度な保水性や良い風通しと夏冬の寒暖差があり、柑橘類の栽培に最適です。この土地で生まれる “つぬき蜜柑”“つぬき金柑”は、甘く濃い味が際立つブランド生産品として広く知られています。

 

 

「清木場果樹園」は3代続く伝統のある果樹園です。

清木場果樹園は、柑橘類の一大産地・南さつま市加世田の中でも、水が美しく、緑の濃い津貫の清木場地区にあります。金柑約70アールの栽培を3代にわたり続けている専業果樹園で、減農薬有機肥料の樹上完熟栽培を得意としています。青果として完熟金柑を出荷しているほか、平成13年から「くろず金柑」発売を皮切りに、厳選した原料と手づくりにこだわった「金柑ジャム」「金柑コンポート」「金柑ピューレ」「金柑茶」「金柑ゆず茶」「金柑しょうが茶」「甘夏マーマレード」などの加工品を次々と開発・発売し続けています。

 

 

南さつま市加世田津貫の歴史と柑橘栽培について

清木場果樹園のある南さつま市加世田津貫は、南さつま市の南に位置し枕崎市の北部と接する山間地。古くは、縄文時代や弥生時代の遺跡や巨石信仰の伝えもある由緒ある地です。同じ南さつま市にある坊津(ぼうのつ)が、奈良・平安時代の遣唐使の発着や鑑真和尚の上陸、また江戸時代には中国大陸との密貿易で栄えた地であり、その経路の要所にあったため、「津」へ「貫ける」という意味の「津貫」とされました。南北朝や戦国期の名田には「津貫」の名が記されています。

南さつま市加世田津貫は、東西に400~500メートル級の山が連なり、万之瀬川の支流・加世田川の源流が流れ、清水が豊富に湧く自然に恵まれた土地です。現在、約270世帯800名ほどが住み、農業が盛んです。柑橘栽培は、大正5年に石原岩太郎氏が津貫小学校の演習園として普通みかんを植えたことに端を発し、昭和初期に有志による津貫園芸組合が発足。本格的に栽培が始まり、温暖な気候や風土が適合したことから、この地の基幹産業として発展し、現在に至ります。

 

 

金柑の歴史

金柑は、漢方の国・中国より江戸時代に伝えられました。金柑の発祥の地はインドのアッサム地方や中国雲南地方。中国では宋(960年~1279年)には栽培されていたそうです。金柑が日本に伝えられたのは、1826年(文政9年)。中国・寧波(ニンポー)市の商船が遠州灘で暴風雨に遭い、清水港で修理したとき、折戸村名主・柴田権左衛門が、船員から金柑数個をもらい、その種から果樹を育て、実らせたのが日本初と言われています。これが日本で代表的な品種とされているニンポウ金柑です。